冬に降る冷たい雨のことを、氷雨というらしい。この季節になるたびに、思い出す。子どもっぽい思いこみと、小さな胸の痛みとともに、ある少女のことを。
当時の僕は、人と関わることがすごく苦手だった。理由は簡単。ごくたまに聞こえる“声”がうるさかったから。
特に冬や夏の、気温の変化がひどいときというのは、声がかなりはっきり聞こえてきて、聞きたくもないのに勝手に頭の中にはいってくるから嫌で嫌で、外に出ることさえおっくうだった。そしてもう一つ。
この、出来損ないの能力者達がはびこる世界で、僕みたいに能力の制御が出来なくて、力の弱いサトリ能力(いってみれば、他人の思っていることが分かるってことだ)が、それでも監視の対象にされてるっぽいから、というのもおっくうな理由。全く、政府の人達も大変だね。本当の、ものすごい超能力者は世界でたった十人だけ。その人達にも常に政府や国際機関の目が光っているという。そうじゃない、たまに人の心の中の声が聞こえる僕にも監視がついてるなんて、どれだけの人が必要なんだろうね?大変きわまりないじゃないか。
だから外に出るたびに、
「おい、聞こえてるんだろう?僕は知ってるぞ。監視されてるってこと。」
つい、頭の中で思って、テレパシーみたいなものを送ろうとしていたのが日常だった。
それでも、僕が未成年であることには変わりはなく。学生の本分はきっちり果たさなければならないのは、大人にとって見れば当然の義務で。そんな僕が選んでいた学校は、構内では一切超能力といわれるものすべてが遮断できるシステムを完備した、当時新設されたばかりの学校。そこだったら、僕みたいな中途半端な能力を持った人間でも、楽に過ごせると思ったから。何しろサトリ能力者、と呼ばれる人は、能力の強弱がどうであれ、嫌悪感を示す人が昔から多い力の一つ。何一つ互いに得することなんてない、意味なしな力。分かってたから、自分からそういうところにはいるしかないじゃないか。携帯用の、能力制御装置なんて、まだ出来てない時代だったんだから。
その学校に、その少女はいた。といっても、在校中の彼女に関する記憶はほとんどといっていいほどない。こちらが感じる印象も、ひどく薄い。何しろ彼女、常に辺りに対して怯えた表情で、おどおどした印象しかなかった、地味な子。それに、この世界では多少超能力を持ってる人が多いけど、確かその子は無能力者で、そんな印象の上に無能力者と来れば、嫌がらせとかにあってもおかしくはないのだけれど、そういう話を聞いたことがないといえば、不思議といえば不思議に思っていたことくらいか。
なんにしろ、当時の僕にいわせれば、
「ま、僕には関係ないけど。」
だったんだけど。
それが、その子に対する高一当時の僕の印象。それが変わったのは、11月ももう終わるかという日だった・・・。
その日は、ずっと雨が降っていた。
「う〜ん・・・困った・・・。」
学校の帰り、寄り道コースの一つ、レンタルビデオ店の前で、僕はうなっていた。今日は一日中雨がふるって予報があったから、傘を持ってきてはいたんだけど・・・。ここに来るまで傘がいらない降りだったから、どうも学校に傘を忘れたまま来ちゃったらしい。今外は、ザーザー勢いよく降っている。傘なしだと、ちょっと辛い感じ。だからといって、雨足が収まるのを店の中で待っているのも、と思いつつ腕時計に目をやる。
「うわ、7時・・・。ごはんできてるよ・・・。」
時刻を見たら、もういつもなら帰ってる時間だし。いってたら、お腹がすいてきたし・・・。う〜ん・・・しょうがない。
僕はかばんを傘がわりに、ぬれるのもかまわず雨の中を飛び出した。飛び出して、しばらくは知っていたときだった。誰かの、“声”が聞こえたのは
死なないでっ
その声は、決して大きな“声”ではなかったのに、ひどく必死で切実で、あまりにも強い思いで。叫びは僕の耳へと伝わった。それは、誰かの心の声。聞き慣れているから、それははっきり分かる。ただ、驚いたんだ。・・・僕や、一般的に弱い超能力を持っている人の能力有効範囲は大体半径二十センチ程度。まぁ、すれ違いざまに聞こえるか聞こえないかというあいまいさしかないのに、聞こえたから。思わず立ち止まるけど、近くに人影なんてない。そりゃあ、そうだ。冬場の雨降りに、好きこのんで傘も差さずに歩く人なんてそうそういないだろう。風邪引きかねないし。それなのに、“声”が聴こえたのは・・・
「相当な、能力者?」
多分、間違いない。相当強い力を持つ人の“声”だ。そういう人の近くだと、他の弱い能力者も力が過敏になったりするって聞くから。“声”は、女性の声だった。その“声”は、今も聞こえ続けている。一体誰なんだろう?興味がわいた僕は、その人がいる場所へ、“声”が強く聞こえてくる方へと足を向けていた。
うずくまる少女と、ぐったり横たわっている猫。猫は、誰かに乱暴でもされたのか、腹から血を出していた。傷はかなり重傷なのか、雨が血を洗い流そうとしてもいくらでも溢れ出ているような・・・路地端で繰り広げられていたのは、そんな光景。
「死なないでっ。一人にしないでよぉ・・・独りぼっちにしないでっ」
少女は、心の声と同じことを口に出して、猫の傷口に手を当てて止血してるみたいだった。それを呆然と突っ立って見ているだけの僕。
だって、そこにいる少女は、学校でクラスメイトの無能力者の子。学校では、いつも居心地悪そうに縮こまっているだけの子だったのに。この光景はなんだ?全く、僕が知らない少女がそこにいた。なんの力もないはずなのに、猫に呼びかけて、助けようとしてる。バカだな、病院連れてけばいいじゃないか。そう思うのに、足は動かない。
彼女は涙と雨で顔が濡れるのもかまわず、猫に呼びかけ続ける。呼びかけても、どんどん猫が弱っていくのは、遠目の僕でも分かった。
「っ!!ぁ・・・・・・」
次第に力尽きようとしている猫を見る彼女の目が、何か決意を宿したように見えた。もう、“声”は聞こえない。
何を思ったのか、その子はゆっくり目を閉じ、両手を猫の傷に当てた。いぶかる僕に、ずぶ濡れの彼女の長い青みがかった黒髪がふわりと風もないのに揺れる。淡い・・・黄色い光が、彼女の両手から生み出されて、猫を包んでいく。遠目に、猫の様子はよく分からない。光は心臓の鼓動のようにゆっくり猫の中にはいっていって、消えた。それと同時に、彼女の体はぐらりと揺れて、その場で倒れた。
フラフラと、僕は彼女の近くへ寄る。彼女のほうは、力を使ったからか、気を失っているらしかった。猫のほうを見てみると、さっきまであれほど出血していた傷がきれいに消えて、流れた血の跡は雨に流されようとしている。意識はないけど、規則正しい呼吸になっているのを触って確認する。こ、これは・・・
「こっちだ!早く!」
少し遠くから聞こえた誰かの声に、僕は我に返る。その声から逃げるように、僕はその場から逃げた。
どこをどう走って家に着いたのか、覚えていない。長いこと雨に打たれていたから、体は冷え切って、寒い。早く熱いシャワーでも浴びて、服を着替えたほうがいいんだろうけど・・・さっき見た光景が脳裏に焼きついて離れない。・・・今見た光景は・・・なんだ?確か、超能力はないはずだ。そう聞いていた。隠してた?なんのために?いや、もう分かっているはずなのに、僕の頭はそのことを否定し続ける。理解したくないから、認めてしまいたくないから、否定し続けてしまう。なんの力も持たないんじゃなくて、僕みたいなたくさんいる出来損ないの能力者よりずっと強い力を持っていたなんて、ずっと、僕より格上なんてっ!!
ただその時は、そんな思いばかりあってあの子をさけるようになっていた。元々からして、関わってもいなかったんだけど、ね・・・。後で知ったのだけれど・・・・・・治癒能力者というのは、普通の超能力よりも心身にかかる負担が非常に大きいらしく、その力を持つ者は極端に長命か、短命かのどちらかしかないそうだ。端から見れば、重宝されそうな力ではあるけど、負荷も大きいから、隠す人が多いのだとも。すべて、そのことを知ったのは、その子が姿を消してから。何故かなんて知らない。彼女が姿を消したことで、僕はこのいいようのないどろどろして、冷たくなっていく感情をぶつけることもなく、日々がすぎていった。
結局のところ、見当違いもはなただしい思いこみをして、舞い上がっていたってことだけどね。今ふり返ればの話だけど。ただ、どうしてもあの冬の、雨の日。あの時感じた胸の痛みは未だに・・・ここに残っている。冷水をかぶっているつもりが、ぬるま湯にどっぷりつかっていると突きつけられたから。
今日もまた、氷雨が降る。そうして思い出すんだ。バカな思いこみをしてたと。そして、数十年経った今でも姿を消したままの彼女に思いをはせることもある。
きっと、今も彼女のほうが、冷たい雨が降ったままなのだろうから。その雨が、いつかやむのかとぼんやり思いつつ、僕は立ちあがる。僕の日常へ戻るために。
おわり
後書きのようなもの
訳分かんない上に、読みにくいこの話を読んでくださって、ありがとうございました。この作品は、意図的にあえて主人公の男と、回想に出てくる少女の名前を出さないで書いています。第三者から見た、ある少女の話、がコンセプトなので。