雨にて



雪叉




 その夢の中の彼女はやっぱり私で。
 やっぱり私らしき夢の中の彼女はいつも泣いている。――――いや、実際には泣いてなどいなかったのだが。
 きっと、彼女が雨にずぶ濡れになっていたからそう見えるのだろう。




―――――ザアアアアアアァァァ




 雨はいつも、容赦なくその小さい体を叩きつける。ふらふらと歩く様は、非常に危なっかしい―――――それ以上に・・・・彼女は今にも消え入りそうなほど存在感が希薄で、意思というのものがないかのように見えた。


 出口の無いコンクリートの床の上を歩きつづけたまま――――そう、私はいつもそこから抜け出せることはできない――――

 かすかに聞こえてくる目覚ましの音で目がさめるのだ。

 ジリリリリと相変わらず味気の無い音を立てつづける目覚ましを止める。寝ぼけていた所為か思いっきり叩いてしまい、その反動でそれは床に落ちてしまったが・・・。

「・・・・・あ」

 その落ちた衝撃か、あっさりとその目覚ましは壊れた。
・・・・・・結構気に入っていたのに・・。
 仕方が無いのでバラバラになってしまったその目覚ましを踏まないようにしてキッチンへ向かう。―――面倒だから片付けは後でもいいだろう、どうせ私以外にこの部屋の住人はいない。




にゃぁ


「・・・そういやお前も居たね。」

 昨日、雨に濡れていた猫を連れて帰ってきていたのを忘れていた。私の思った事に抗議するかのようにそいつは鳴く。いや、鯖の缶詰の前でちょこんと座っているところを見るとエサを要求しているのだろう。私の朝食にするつもりだったのだが―――仕方なく、それを猫にやり、私は空腹を抱えたまま部屋を出た。



―――――――7:43
 ぼんやりと、無意識のうちに携帯を操作していた。・・・・・いつもよりも目がさめるのが、早い。今日は、バイトも休みだっただろうか。
 少し色素が薄く、黒というよりは茶色い髪を乱暴にかき回し――――最近きっていなかった所為か、後ろでくくれるくらいにまで伸びている。童顔、中性的な顔つきと相まって、時折女とも間違えられる――くぁ、と欠伸一つ。・・・・・・まだ、眠気が覚めない。
 一人暮らしの男所帯にありがちな、酷くちらかった部屋。その部屋は、やけに煙草臭い。
 まぁ、仕方ないかと思いつつ、風呂の戸を開ける。
 熱いシャワーを浴びながら、そういえば昨日で買い貯めていたビールを全て飲んだということを思い出した。



 既に部屋の冷蔵庫には食べるものが無かった為、散歩がてら―――といっても彼女が現在いる場所はあのアパートから1kmほど離れている―――買い物にきたが・・・。

 見事なまでに神様は意地悪だったらしい。

 家から100m、それくらいを歩いた彼女。その途端雨は降ってきた。それも、容赦なくどしゃぶりで。
傘を持ってきていない彼女には雨宿りをするか濡れるか、もしくは100mの距離をさかのぼって家に帰り傘を取ってくるか位の選択肢があり――彼女は結局2つめの選択肢を選んだ。はっきりいって、賢い選択とはいえない。

 寝起きでぼんやりとしたままの頭で彼女は歩きつづけていた。気のせいか、今朝から少々体が熱を持っている気がしたが、性格的にそれくらい、どうもないだろうと、彼女はほっといた。
 ――――昨日も、確かに雨に濡れていたはずだが。



 ふと、昔遊んでいた公園が見えて、雨だというのになぜか寄り道をする気になった。
 そこはこの近所にしては大きい公園だというのに、やたら青々しい木々だけで中がうめられている。―――はっきりいって、ろくに走れるようなスペースも無いこの公園で子供が遊んでいる姿は、あまり見られない。時々、隠れんぼでもしているのか、鬼の子供が歩き回っているのを見かけたくらいか。
 そんな公園で、ふらふらと危なっかしい足取りで歩いている、女性にしてはやたら背の高い人が見えた。ふと横顔がオレの目に映って、思わず―――

「瑞希?」

「・・・・なんで知ってる?」
「・・・・・・・ハハッ」

 突如、背後から彼女に声をかけたそいつは、ちゃっかりとレインコートと傘を装備していて、まったく雨に濡れた様子が無かった。

「風邪ひくぞ、体弱いんだからとっとと家帰って風呂に入れよ。」
「あいにくと家は一駅離れていてね。」

 懐かしそうな表情に、笑いを浮かべるそいつ。・・・・すっかりと私の問いはスルーしてくれたようだ。というよりも、私は本当にこんな奴を知っている覚えは無い。なのに、奴はまるで私のことを知っているかのような口調でしゃべる。
 ・・・・確かに昔は体が弱かったが、今は人並みには丈夫になっている・・・・・と思う。

「はぁ・・・・瑞希、こっちこい。」
「・・・・なんで?」
「風邪ひくだろ?風呂貸してやる。」

 あきれた表情で、彼は言う。
ずかずかと、振り返りもせずに歩くそいつの後ろ姿をぼーっと見つめていると、ついてこない彼女に気が付いたのか、彼が振り返る。

「どうした?」
「知らん男に着いていくバカがどこにいるかっ!」
「・・・・・え?」

 そのまま、彼を振り返りもせず踵を返した彼女の後ろ姿を、呆然と司は見送った。



 にゃぁ

 愛らしく鳴いて主人を迎えた猫を軽くなで、彼女は部屋へ向かった。
 折角、あのあたりまで歩いたというのに、見知らぬ男性が声をかけてきたお陰で、思わず家まで帰ってしまった。―――また、雨の中を買出しに行くのも面倒で、濡れた服を着替えただけで彼女は寝なおした。

 次第にまぶたが重くなるのを感じながら、そういえば、あの周辺に昔住んでいたっけ、ふとそんなことを思い出した。



 少し離れたところにある友達の家を出て、まだなれない道を頼りにならない自分の記憶を頼りに歩く。先ほどから、空模様は怪しい。早く帰らなきゃ、そう思うけれども、私の記憶はあまり当てにはならない。

 そんな中、雨がぽつぽつと、降り出す。
 まだ、大降りではないだけマシだというべきか。

 自分が方向音痴なのは自覚していたし、なるべく周囲の風景に目印を見つけながら歩くようにしていたのに、どうにも、こんなときに限ってへまをやらかしてしまったようで―――そんな自分に腹を立てながらも、適当に、進む。というよりも、歩くほか、手が無い。

 困ったことに雨がやむ気配はなく、遠くに青空が見える、何てことも無い。おそらくは、私が家に着いてもまだ振り続けそうだ。
 それ以上に、次第に雨足が強くなってきているのが気になる。

 ――――さすが方向音痴。

 ぼーっとし始めた頭の片隅で、自分自身のこととはいえ思わずそう思った。なぜか、その道は公園に繋がっていたようで、辺りには緑ばかりが広がっている。しかも、味気の無いことに、私が好きな遊具など何一つ無い。

 なんだかもう歩き疲れてしまって、まだまだ水を注いでくれる空を見上げた。―――正直、もうどうでもよくなってしまった。
 ぼんやりとしている頭はいい案を思いつかないし、足が疲れて棒になったかのように思える―――実のところ、錯覚なのかもしれないけど。

「―――ひっく」

 思わず、もう家に帰れないのかもしれないと思って、涙が出てきてしまった。やっぱり、遊びに行くのを断った方が良かったのかもしれない―――・・・・。



「うーん・・・」
「何で唸ってるの?」
「・・・・・おわっ?!」

 こっちは、昔の友人(らしき人)とどうやって連絡を取ってみようか悩んでいるところに、いきなり彼女が部屋に入ってきていた。けれど、ノックの音など聞こえた覚えは無い。

「返事が無いから勝手に入ったんだけど?」

 どうやらオレが気付かなかっただけのようで、苦笑を浮かべながら、彼女はちょこん、とオレの横に座った。

「あ、そうだったんだ。ごめん」
「気にしなくても大丈夫よ。それにしても・・・・司がなんか悩み事?」

 明らかに、表情にからかいが入っているが、彼女―――由依は、かなり頼りになると思う。今までどんなに彼女に借りを作ったか。・・・・その分はきっちりと返す羽目になったのだが。

 ふと、彼女のその顔を見ているうちに、あることを思い出す。

「そういえば、お前って顔広かったよな?」
「まぁ、どちらかといえば、かな?」

 いきなりのオレからの質問に、首をかしげる、由依。

「あのさ・・・・」



「・・・・風邪引くぞ?」

 先ほどから、微動だ似せずそこに突っ立ったままの彼女に、友人に家を出て以来始めて会う人間――――同じくらいの年齢の少女が、声をかけた。

「っ。お前、もう風邪引いてるだろ!早く家に帰って眠っとけよ」
「・・・・家、わかんないの・・・」
「え?」

 思わず、耳を疑う。この年齢にもなって、自分の家のわからない子供などいるのだろうか。オレは良くバカだバカだといわれるけれど、一度も自分の家の場所を忘れたことなど無い。―――いや、どちらかといえば目に前いる女の子の場合――――

「お前、迷子なの?」
「・・・・・・・っく」

 困ったことに泣きながら―――良く見ると泣いた後が見えたのだけれど―――彼女はうなずく。
 遊び帰りに雨に降られていた彼も、さすがに困る。家につれて帰るべきか―――丁度、彼の家は近い。そう、この公園の出口の一つを抜ければ目の前にあるといってもいいくらいに。

「うー・・・」

 苛ついたかのように雨でびしょぬれになった自分の頭をかきむしって、ついに彼は決めた。

「・・・・・こっちこい」
「・・・・・ひっく」

 抵抗もせず、されるがままに彼に手を引かれながら、私は、やたらがんがんとする頭を抱えながらまた、雨の中、歩き出した。



 はっ、と目がさめた。
 そこは、最近見慣れ始めた、自分の部屋。

「ああ、思い出した。」
「あいつは―――」



 急いで階段を下りて。
 いつもならこんなに慌てることなど無いのに―――

 まだ、どしゃぶりの雨の中、あの公園へ走り出す。
 なんで、こんなことすら忘れていたのか。
 あいつは―――



「つーかーさー。」

 さっきから隣で携帯をいじりつづけていた由依がオレを呼ぶ。

「気に食わないけど、件の彼女、見つかったわよ。」
「―――――っ。サンキュー由依っ!」

 嬉しさのあまり、彼女に抱きつく。―――すぐに機嫌が悪そうなのに気がついてはなれたけど。

「えっとねー・・・」

 どうにも、彼女は由依の友人と同じ専門学校に通っている生徒のようで、たまたま彼女の事を知っていたらしい。やはり世界は狭いというべきか広いというべきか。・・・そもそも、その生徒もオレと同じ小学校だった奴で、知り合いだったわけだが。

「それにしても、彼女とあってどうするの?」
「あいつ、前に風邪こじらせて肺炎なったことあるから・・・またなってないか心配なんだよ」

 そういうと、彼女はあきれた表情で俺を見返す。

「・・・やっぱりあんた、あっきれるほどに心配性だわ」



「・・・・なにやってるんだろ、私。」

 息を切らせながら、ついた公園で、急に脱力した。
 それもそうだ。雨の中、好んで外に突っ立っているような奴なんていない。

「―――――――ハハッ」

 思わず、笑いが漏れる。



 そのまま、あの夢を繰り返すかのように、じっと空を見上げていた。



「―――送らなくてもいいって言ったのに・・・・。」
「オレも買うものあったし。ついでだよ。」

 そう、そっけなく返した彼に、思わず、苦笑をもらす由依。彼は、いつもそういいながら、彼女を家まで送っていく。

「雨の中、わざわざ買い物?」

 からかうかのように、少し上にある彼の顔を見上げる。―――照れているのか、司は目をあわさない。
 でも、ほんの少し、彼の頬が照れるかのように赤いのを彼女は見逃してはいない。内心で可愛いな、と思いながら、彼女は、少し、彼の前に出る。

「此処まででいいよっ。」
「でも、もうちょっと先じゃないか、お前の家。」
「あたしがいいって言ってるんだからいいの。とっとと買う物買って帰りな。」

 彼の返事も聞かず、彼女はさっさと家までかけていった。雨だからきっと、彼女のジーパンの裾は濡れてしまっているだろうに。
 走っていってしまったし、彼女の家は、もう近い。ならいいか、と彼は踵を返して、来る道をたどる―――やはり、何処にも寄らず、まっすぐに自分の家へ。


いい加減、頭もさめて―――といっても、ものすごく、がんがんして痛い―――家に帰ろうか、と思ったところ―――

「・・・・あれ?」

今朝、聞いたのと同じ、声。
いくら小さかったとはいえ、私の耳は聞き逃しはしなかったらしい。
驚きに振り返ると、酷く心配そうな顔をして駆け寄ってくる、あいつ―――司の顔が見えた。相変わらず、傘とレインコートを着ているのが、恨めしい。こっちは、思わず飛び出したお陰で又びしょぬれだというのに。

「大丈夫なのか、瑞希っ」

 雨音にかき消されて、やけに聞こえづらいけど、そう聞こえた。それに答えるかのようにニヤッっと笑って、久しぶりに、大声を出す。

「見てのとおりっ、大丈夫さっ!」

 その返事に安堵したのか、もう、5,6mというところで、ゆっくりと歩き出す。

 ふと、レインコートから見えた、彼の顔。

 それは、思い出と同じ笑顔で――――



もう、あの雨の夢は見なくてすむんだ。
なぜか、私は確信した。


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※ 写真はRain Drop様の素材です。