【RedMoon】


 予備校の帰り道。
 ふと見上げた空。

 赤い満月が浮かんでいた。

「なんじゃありゃ」「すっげー」
 同時に零れた呟きに驚いて隣を見る。
 隣の奴もこっちを見た。
「「あ」」
 お隣さんの、ユキだった。
「久しぶり。何してんの、お前」
「あんたこそ。ボケーッと空見て。口、開いてたよ」
 ダセーッとユキはケラケラ笑う。お前の口だって開いてたよ。
「つーかすごくない? あの月」
 ユキがまた空を見上げて言う。
「あぁ。俺もビビッた。めっちゃ赤い。何かね? 固まりかけた血みてー」
「グロい表現すんなよ」
 ユキが嫌そうに眉をひそめた。
 何ヶ月 …… いや、何年ぶりだろう。こんな間近でユキを見るのは。隣に住んでいるから姿を見かけることはあったけれど、こんなにマジマジと見たり、まして話したりなんてのはしたことなかった。
 俺の記憶の中では肩までだった髪が背中まで伸びて、冷たい風に揺られている。
 俺はユキに吸い付く視線を無理やり剥ぎ取って空を見上げた。
 月が、赤い。
 暗い赤色をした月をうっすらと白い光が包みこんで、その上を黒い雲がゆるゆると流れていく。
 狼男は黄色い満月で猛り狂うが、こんな月の夜は血に狂いそうだ。
 いや、むしろ。
「吸血鬼かな」
 ユキが呟く。
 思考回路が一致したのだろうか、全く同じことを考えていたようだ。瞠目してユキを見ると困った顔をされてしまった。
「なによ」
「俺も同じこと考えてた。うわ、びっくり」
「はぁ? …… そこはビックリじゃなくてサイアクだろ、普通」
 照れたように笑いながらユキは言う。いや何でそこで照れる。
「ヤバイよね、この月見てると。脳みそ真っ赤になる」
「あぁ。ヘンな気分だぜ」
「襲うなよ?」
「!? 誰が襲うかっ!」
 マジ切れしかけた俺をさも可笑しそうに笑う。てか、からかわれてるって気づけよ俺 ……。情けなくなって不貞腐れていたら、気の毒に思ったのかユキが笑いながらあやまった。いや全然気持ちこもってないから。
「最近どうよ?」
「別に。良くもないが悪くもない」
「そっか ……」
 さっきまでとは全く違う、トーンの低い声。心なしか表情も暗く見えて俺はちょっと焦った。
「何かあったか?」
「いや …… でもちょっと結構まいってる」
「どっちだよ」
 呆れたように言うと、ユキは、はは、と小さく笑った。
「何かさー、お先真っ暗って感じなの」
「は?」
「まぁ聴け」
 聴いてもらうわりに態度がでかくてちょっとムカッときたが、ユキは昔からこうなので大人しく黙る。
「もうすぐ受験だってガツガツ勉強ばっかして、その割りになかなか成績が上がんなかったりするとさ、あぁあたし何やってんだろー、とか思うわけ。で、そこまではいいのよ。いつもと変わんないの。ただね、やっぱさ、こんな勉強して何になるの? とかも思っちゃうのよ。空しくなると言いますか ……」
 言ってユキはまた月を見る。
「いつもは黄色く見える月が今日は真っ赤で、あんなに毒々しい。あたしも今あんな感じ。体中に思考の毒が廻ってる」
 空を見上げたままのユキの横顔を見る。疲れきってて悲痛な顔。
 他人に弱みを見せるのが何よりキライなユキが、俺にこんな顔を見せている。張り合ってばかりで1番のライバルである俺に、だ。
 これは相当まいっていると見て、俺は何を言おうか迷った。
「気にすんな。戯言だ」
 そんな俺の困惑を感じ取ったのか、ニッと笑ってユキは言った。でもその顔は無理やり笑いましたってのが丸見えで、俺は、じゃあね、と言って歩き出したユキの腕を掴んだ。
「何よ ……」
 弱々しい声。こんなユキははじめて見る。
「えらくヘタれてんじゃねーか、お前」
 せせら笑って言ってやったがユキは何も言わない。言い返す元気もないのか。
「あのさぁ、そういうの考えたってムダとか言って俺を怒鳴り飛ばしたのはお前じゃなかったっけ?」
 ユキの肩がピクリと動く。
 俺がまだ勉強が嫌いで成績も悪かった頃、何もしてないことを棚に上げて言い訳してたらユキが言ったのだ。
「そんなの考えたって今やれることはそれしかないんだから文句たれてるヒマがあったら勉強しろってさ」
 ユキはまだ何も言わない。
「こーんな奴に偉そうに説教されてたのかと思うと情けねーなぁ。ま、今は俺よりお前のが腑抜けだがな」
 嘲るように言うとユキがゆっくりとこちらを向いた。その目に怒りの色が見えて、俺はにやりと笑って止めを刺した。
「自分の挫折にゃ弱ェーんだな、エリートさんは」
「!!!」
 ユキが俺の手を乱暴に振り払う。仁王立ちして俺の正面にいるユキは怒り心頭の様子で唇を歪めて言った。
「あんたに説教されるとは、あたしも堕ちたもんだね。アホらし。てかあんた、そんな偉そーなことほざく権利があると思ってんの? え? 万年落ちこぼれヤローが」
「くっ …… はははは!」
「何が可笑しいのよっ!」
 めちゃくちゃ怒ってる、と思いながら俺は笑うのをやめられなかった。だって可笑しすぎる。単純すぎだろお前。こんな見え見えの挑発に乗ってどーする。
「 俺な、今学年1位なんだよ。ま、お前の行ってるトコで考えたらどうか分かんねェけど?」
「えぇっ!?」
 驚いた顔のままフリーズ。最高だ。マジ面白い。
「お前の言う落ちこぼれヤローは今やお前と同じトコ目指せるぐらいまでレベルアップしてんだよ」
「…… マジですか?」
「マジですよ」
 俺はどこか爽快な気分で言った。
「そっか …… 頑張ったねー、あんた。死に物狂いだったっしょ?」
「そらな。もとがもとだから」
 笑いながら答える。
 確かにこの1年はキツかった。ユキの志望校を聞いて、全然成績が足りなくてすごく焦って、でも立てた誓いはもう2度と破るまいと必死に勉強した。
「キツかった?」
「あぁ」
「大変やった?」
「まぁな」

「会いたかった?」

 不意打ちに一瞬頭が真っ白になる。
 ユキを見ると、口元は歪んでいたが目は真剣だった。
「…… あぁ、会いたかった。何回も行こうとしてやめた」
「隣なのに会わんなーとは思ってたよ」
「そりゃ、避けてたからな」
 2人して静かに笑う。先ほどの淀んだ空気も昔みたいな張り詰めた空気もここには無かった。
 とても穏やかな空気。
「…… あんたの一世一代の告白は合格決まったら聴いてあげる」
 ユキはそう言って晴れやかに笑った。どうやらバレバレだったらしい。
「あぁ。4月楽しみにしてろよ」
 俺も笑った。
「さて、もう帰ろっか。だいぶ遅くなっちゃった」
「そうだな」
「あー、でもやっぱり月は赤いか」
「当たり前だろ。そんな何十分ぐらいで変わるかよ」
「あたしは変わったのになぁ ……」
 少し残念そうにユキは言う。
「でも、こんな怪しい月もいいか。なんかカッコイイし?」
「カッコイイのは俺だろ?」
「自惚れんな、バーカ」

 2人で馬鹿みたいに笑いながら家までの道を歩いた。
 月は赤くて怪しくて気味が悪かったが    

 すごく綺麗だった。

終  



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