噂の真相

 太い木の根本に生えた、下草のそのしたで、寒さに身じろぎしながら俺は目を覚ました。高い木々に邪魔されて夜空はほとんど見えないが、夜半過ぎであることは腹具合が教えてくれた。耳を澄ませ、辺りに危険のないことを確かめると、なるべく音を立てないように背嚢(はいのう)から手探りで携帯口糧を取り出す。
「!」
 闇に沈んでいた森の中に細い光の筋が、何本も何本もまっすぐ降りはじめた。月が天頂にさしかかったらしい。
「いよいよだな」
 誰に言うでもなくそう一人ごちて荷を手早くまとめる。鞘に収めたままの剣を杖代わりにして、慎重に立ち上がった。幸い、物音一つさせることはなかった。そのまま一歩一歩ゆっくりと歩き始める。

 闇の森に光の回廊がある……そういう噂はじっちゃんの小さい頃から俺の村に伝わっていたという。話す人によって細部は異なるが、共通していることはただ一つ、光の回廊は月夜に現れるということだ。それも満月の日に。これだけだったら訳もなく誰でもそれを見つけただろう。しかし、俺たちが闇の森と呼んでいるこの広大な土地は、人に優しい森などではけっしてなかった。うっそうと茂る木々は昼間でも薄暗く、起伏の少ないことは逆に目印を簡単に見失わせることにもつながった。狩りなどをしていて一旦道に迷うと、いつしか自分が獲物の立場になっていることに気づく。行方不明になる者は毎年必ず出た。そしてその捜索のたびに、俺たちはずっと古い遭難者の無惨な亡骸に出会ったものだ……。

 ……どれくらい歩いただろう、昼間の日光が当たらないおかげで森の中は下草がほとんど無い。にもかかわらずそれほど進んでいないのは、足音を殺して歩かなくてはならないためだ。恐い奴らに、食事の時間をわざわざ教えてやる必要はないのだ……。

 光の回廊、それは真上から満月が照らしている間にだけ闇の森に浮かび上がる道筋だ。闇の森のその噂は、もともとは一人の旅人がもたらしたらしい。その旅人は闇の森の向こう側から、森を迂回せずに突っ切ってきたのだという。彼は七日の道のりを半分に縮める代わりに、四人の仲間を失ったのだ。その四人の殺され方については数え切れないほどの説があり、誰の言い分を信じて良いかは解らないし、そのどれもが信じたくないほど悲惨なものだった。だが、その旅人は、最後の仲間を失った夜……つまり、闇の森で三日目の晩に、光の回廊に出会ったのだという。そして真っ直ぐに伸びたその先にあったものは……。

「あっ」
 つい口をついて出た自分の声で、俺は二度驚いた。根本から二本に分かれて、それぞれが立派に育った木の間を越えたとき、唐突にそれは姿を見せたのだ。
「本当に……」
 あったのだ、光の回廊が。今立っている場所が、どうやら『入り口』にあたるらしい。暗闇の中、ずっと奥の方までぼぅっと光る道筋が続いている。躊躇している時ではなかった。いつまでも月が天頂にあるわけではないのだ。俺は腰の剣の柄をぐっと握りしめ、足を踏み出していった。

「旅人が見たのは、あの世の入り口じゃよ」
 じっちゃんはそう言っていたが、酒場のオヤジに言わせると
「旅人は宝の山を見つけたにちげぇねぇ」
んだそうだ。他にも、ただの墓場だったとか、牛(?)に襲われたとか、みなが口々に違うことを言っていた。じっちゃんの親父がまだ若い頃の話なので、その旅人と会ったことのある人間はもういない。だが、皆それぞれの家で、『光の回廊の話はコレ』っていうのが決まっていた。奇跡的に助け出されて村で介抱されていた、その旅人のベッドの周りに鈴なりになって話を聞き入っている小僧達……そのさらに子供に当たるのが俺のじっちゃん達の世代だ。
「まぁ、なんにせよ、わしにゃもう確かめようがないことじゃがの」
 そうつぶやくじっちゃんの背中が、なんだか小さく思えたのがきっかけだった。
『じっちゃんの生きているうちに、俺が噂の真相を確かめる』
 そう心に誓って二日前に家を抜け出してきたのだ……。

 光の回廊は何かに踏み固められたようで、足元の感触が今までと全く異なっている。だがめったに人も来ないのに腐葉土がこんなに固くなるなんて……!
『獣道(けものみち)か』
 回廊の半ばにさしかかった辺りで、後ろから何かの気配が。気配と言うより鼻息か? 振り向くと、回廊の入り口から何かがこちらへと近づいてくる。角があり、筋骨たくましい身体……。牛? そう思った時にはそいつはこっちに気づいていた。ヤバイ。かなりヤバイ。あの牛、二本足で立っている。
「UMOOOOOOO!」
 一声叫ぶや突然そいつは走り出した。怒らせたのか? 俺が? 考える暇もなく逃げるっ!
「UMMOOOOOOO!」
 振り返る余裕なんて無かった。二度目の雄叫びはまるで耳元で吠えたかのように近く感じた。速いっ。次の瞬間、
「!」
 俺は牛に背中をもの凄い力で殴られた! 牛が『殴る』だって? そんな疑問は痛みで消し飛んでいた。走っているところへ後ろから突き飛ばされた格好になり、俺はダンゴムシのようにコロコロと回廊を転がっていった。
 ようやく止まったのはどうやら光の回廊の終着点らしかった。目眩がひどかったが、『怒って二本足で走る乱暴な牛』が迫っている。武器はどこかへ吹き飛んでしまったらしい。俺は逃げ場を探して周囲を見回した。円形の広場に円く月明かりが落ちている。そこには二つの小さな山が出来ていた。ひとつは銀色に鈍く光る山、もう一つは白く浮かび上がる山だ。周りは……板囲いがしてある! これでは回廊へ行くしか出口はない。しかしそこには……
「BUMO!」
 ゆっくりと勝ち誇ったように広場へ入ってきた牛……男。……なぁんだ、こいつ、どうやら牛なのは頭だけで身体は人間と変わらないらしい。俺より二回り以上でかいがな。
「そうか、ここはあんたの住処なんだな? で、俺が入り込んでいたんで怒った……そうだろ?」
 時間稼ぎに話しかけるが、意に介する様子もなく段々と近づいてくる。俺は白い小山の後ろへ回り込んだ。なんと、それは骨の山だった。色んな動物の骨の中に、見たくないモノも混じっていた。人の頭蓋骨だ。
「ちょっ……ちょっと夕飯には遅すぎるんじゃないか? ほら、まだそれほど腹は減ってないだろ? もうすこし走ってきたらどうだい?」
 俺はあわてて銀色の小山の方へと移動した。それは犠牲者の所持していたものらしかった。銀製品が多く、武器や防具の類も混じっている。すかさず手近な剣を拾い上げる。
「なるほど……墓場に宝の山……。お次は、あの世への入り口か?」
 もう牛男は小山のすぐそこに来ていた。とっさにもう一度周りをみまわすと、板囲いに一カ所だけ俺が潜れるかどうかというくらいの穴を見つけた! すぐ近くだ。
「BUMMOO!」
 牛男が俺の胴回りよりも太い腕を振りかぶった。力勝負で勝てるわけがない。俺は穴に向かって飛んだっ!

「……で、おじーちゃんは便所に飛び込んじゃったのね?」
 孫に揺り動かされて、わしは懐かしいあのころの思い出からゆっくりと我に戻った。満月になると思い出すのが、若かったあのころの冒険なのだ。
「おぉ、そうじゃそうじゃ、その穴は牛男の便所だったんじゃ。通り過ぎる時の臭いといったらスゴイものじゃったぞ。下が川だったから助かったがのぅ。ほっほっほ……」



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